ゴットハンドの弟子はゴットハンドじゃないんだなぁ
ストレッチポールを使ったエクササイズをやっていると、その再現性の高さがすごくいいな、と思います。
誰がやっても、出てくる結果は同じようなものということ。これって、案外難しいことで、かつ重要なことなんです。
特別な才能があることも、もちろんいいのですが、それって、その人がいなくなったらもうお終いなんですね。それは何の役にも立ちません。
一人きりって、全然いいことじゃないと思っています。大切なことこそ、誰でもできるようにしておかないとね。
これは、患者さんの治療をしてきているからこその実感で、私ができていることが私しかできなかったら、それは全く役に立たないと思っています。きちんと伝えて、広げていくことこそが大切なことで、そこに尽力している先生方を見てきました。ゴットハンドと言われていても、それを良しとしていないで、何とか後輩に伝えようとしてくれていました。
ところが、後輩がゴットハンドにはならないんだよね。治療なので、理論はあるんですが、結局感覚の世界で仕事をしているから、感覚は残せない。
理論武装はしているけど、それに技術が追いつかない後輩の何と多いことよ、と思うんです。
感覚をつかんでいけた人が、ちょっとずつ近づいてへ行けるんだけど、きっと才能のあるセラピストは、ゴットハンドのモノマネでは終わらないから、跡継ぎという感じにはならないんだろうね。
これって、フラも同じ。踊り自体は感覚の世界なので、踊れる人の感覚は残せない。理屈はあったとしても、「こんな感じ」の共有はできないので、踊れちゃう人は踊れない人の感じは理解できない。逆もそうなんだけど。
だから、誰でもこれさえやれば、動けるようになるよ、という指標になることって大事で、それを紹介しているのがフラのためのカラダ作りなんです。
自分の体をコントロールする感じとか、動けていること動けないことの違いが自分でわかるとか、そんなことが、「こんな感じ」を理解する助けになるんですね。
まぁ、「こんな感じ」がわかる人なら、それでいいけど、私はわからないので、いろんなことをやったというだけ。いいなぁ、すぐに理解できて、できる人は。私は何でもわかるまで時間がかかるから、パッと踊れる人が羨ましいです。
だけど、そんな人ばかりが先生だったら、踊れない人は困るよね。
今でも時々夢に見るのが、「きちんとzoneに当たると、反応が返ってくるよね。ほら、返ってきた」と言われても何にもわからず、??????と思って治療中にパニクっている自分です。当時は全然わからなかったけど、今ならちょっとわかる。
追い込まれてたなぁって思う。その夢とセットなのが「何で言われないとわからないかな。全然違うよ。見てわかるでしょ?いつまでたっても初心者なんだから」とセンパイに注意されるレッスン中の私の夢。どちらも、10年以上前の事実です。